立川こはるさんは日本の女流落語家であり、落語家立川談春の一番弟子です。
男性が多い落語家の中で女性として活躍されている立川こはるさん。
しかし、「立川こはる」と検索すると「廃業」と出てきます。
立川こはるさんに何があったのか?また今までの経歴や師匠立川談春さんとのエピソードも調べていきます。
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立川こはるとは?経歴や落語を始めたきっかけ
本日はご来場ありがとうございました!地元のお客様はもちろん各地から遠征のお客様、旭座のスタッフさん、ちりとて落語の会の皆様、けんび亭さん、皆様のご尽力あっての実現、心よりお礼申し上げます。
本当に素敵な小屋でした! pic.twitter.com/cU0Ie8thgN— 立川こはる (@koharunokai) May 3, 2019
立川こはる
本名 廣瀬 麻美(ひろせまみ)
生年月日 1982年10月7日
出身地 東京都港区
活動開始 2006年3月~
立川こはるさんは東京都港区出身のバリバリの都会っ子です。
港区立青南小学校、青山学院中等部、高等部、東京農工大学農学部、東京農工大学大学院中退と凄い経歴の持ち主です。
最初から落語家になる予定ではなく、大学入学時になんとなく誘われて入った「落語研究会」がきっかけでした。
1年目は落語を見に行く機会も少なく、塾講師のアルバイトに精を出していたそうです。
しかし、2年生の時周りに落語研究会を辞めていく人が多く、「辞めないでくれ」と引き留められ、それから寄席に行くようになりました。
そこで寄席のライブ感に魅力を感じ、落語にはまっていったそうです。
3年生の時には運命の出会いが。
今までミスチルを聴いていた立川こはるさんですが、その頃には音楽は落語になるほどはまっていました。
その際に、今の師匠である立川談春さんの落語を聞いたそうです。
その時の感動をインタビューで話していました。
それまで、落語は気軽にゲラゲラ笑いながら見るものだったんです。それが、談春師匠の落語では、息もできないぐらい気迫に押されてしまって、会場から表に出たときに、ようやくため息ができる感じなんです。
「なんなんだ、これは…!?」という衝撃でしたね。 リクナビNEXTより引用
その出会いがきっけけとなり立川談春さんの一番弟子になったのです。
凄いですよね。
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立川こはるが廃業?その理由とは?
立川こはるさんを調べていくと、「廃業」というキーワードが出てきます。
落語家の廃業と言えば、一般の会社のように師匠が最後通告をする場合と、自分で辞めていく場合があります。
立川こはるさんでいろいろと調べてみましたがそのようなことはありませんでした。
現在、女性の落語家は約50人と言われています。
昔からの流れで「落語は男性がやるもの」の風潮が少なからず残っている可能性があり、女性の落語家が続けていくのが難しかった世界ではないのでしょうか。
その為辞めていく女性落語家も多く、立川こはるさんにもそのような噂が立ったのかもしれません。
また、立川こはるさんに似た名前の方が存在したのも原因だと言われています。
立川こはるにドタキャンの過去?真相は?
立川こはるさんで調べていくと、過去にドタキャンをしたことがあると出てきました。
2016年3月に名古屋の大須演芸場で春風亭小朝の弟子の春風亭ぴっかり☆さんと『こはる&ぴっかり☆二人会』を開催する予定だったそうです。
チケットは既に完売していたのですが、しかし、前日になって立川こはるさんから「インフルエンザになった」との電話があったのです。
インフルエンザになってしまったら、さすがに寄席に出ることは出来ない。
その為、急きょ代役を探したり、返金対応をしたそうです。
しかし、その当日の夜、埼玉・戸田で行なわれた立川談春さんの独演会の前座として、インフルエンザだったはずの立川こはるさんがが高座に上がっていたのです。
彼女の言い分だと、「インフルエンザだと思って休演の連絡をしたが、翌日検査をしたら陰性だった」とのことでした。
もちろん、ファンからも不満の声が上がったそうです。
その声は師匠である立川談春のところまでも。
その結果、立川談春さんは4月16日に行なわれた『こはる&ぴっかり☆二人会』の公演に一緒にあがりお詫びの一席を打ったのです。
結局、立川こはるさんのドタキャンの真相は分からないままで、その後興業主とも和解したそうですが、過去にこんな出来事があったのですね。
弟子にはとにかく厳しいと有名な立川談春さん。
一番弟子の立川こはるさんのドタキャン騒動に関しては自分でも一席を打つなんて気になるところです。
厳しい落語の世界で女性落語家として活躍されている立川こはるさん。
「女性なのに男前」と言われており、厳しい中で今では「立川こはる」の世界観を立ち上げています。
今後の活躍が非常に楽しみですね。
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