第68回NHK紅白歌合戦のエンディングの新指揮者として決まったのが
作詞家の都倉俊一氏です。
7月に亡くなった作曲家の平尾昌晃さんの後継者として誰が選ばれるのか気にされていた方も多いかったのではないでしょうか?
しかし、都倉氏の名前を初めて知った方も多いはず。
そんな都倉俊一さんについて調べていきます。
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【大役】紅白「蛍の光」、新指揮者は作曲家・都倉俊一氏https://t.co/p733VslGJJ
昨年まで指揮を務め、今年7月に亡くなった平尾昌晃さんの後任。「一種の緊張感を覚えた」と話し、意気込みを語った。 pic.twitter.com/2uUFd9NGqZ
— ライブドアニュース (@livedoornews) 2017年12月7日
都倉俊一(トクラシュンイチ)
生年月日:1948年6月21日(69歳)
出身地:東京
学歴:学習院大学
職業:作曲家、編曲家
活動期間:1969年~
4歳の頃からバイオリンを習い、父親が外交官であったことから
小学校時代・高校時代をドイツで過ごし、そこで音楽の基礎を学んだそうです。
そのため英語、ドイツ語、フランス語が話せるインテリアだそうです。
学習院大学時代には、フォーク・グループ「ザ・パニック・メン」に
ヴォーカリストとして参加し、1968年にレコード・デビューを果たしました。
大学2年生の時から作曲家活動を始め、昭和44年中山千夏の「あなたの心に」でデビューしました。
これまでに山口百恵やピンクレディーなどの楽曲を含め
手がけたヒット曲は1000曲。
レコード売上枚数は4000万枚。
2010年には一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)の会長も務められました。
音楽界にとっては非常に功績を残している方なのです。
凄いですよね~。
都倉氏の結婚相手は?離婚歴あり?現在の再婚相手とは
都倉氏は以前結婚をしていたのですが、その相手は大信田礼子さんです。
大信田礼子さんは、京都市出身の女優さんで、
1974年に都倉氏と結婚した際には引退状態となりましたが、
1978年に離婚後、芸能界に復帰したそうです。
都倉氏は当時かなりのプレイボーイだったので、プロポーズされたときに
大信田さんは「あなたの手帳には女の電話番号ばかりだ」と断ったそうです。
しかし、そんな大信田さんの目の前で都倉氏は、手帳を破って暖炉の火で燃やした姿をみて、
結婚を決意したというエピソードがあります。
今でも甘いマスクの都倉氏。
当時はかなりモテモテだったのでしょうね。
でも、好きな女性の前で手帳を破るなんて、なんだか素敵です。
1978年に大信田さんと離婚したあとは、どうやら再婚はしていないみたいです。
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都倉氏の家族や山口百恵との関係は?
都倉氏にはどうやら息子はいないようですが、
家族が凄い方が多いようです。
父親は外交官の都倉英二。
次男は都倉裕二。
三男は都倉亮。
三男の都倉亮は都倉インターナショナルの社長です。
また、甥にはプロサッカー選手の都倉賢がいます。
なんだかすごい家系図ですね。
そして、都倉氏と言えば山口百恵さんとの関係性が気になるところです。
大信田さんとの離婚原因が山口百恵さんとの浮気との噂もあったのですが、
実際は都倉さんがすごい「マザコン」だったことが離婚の原因だそうです。
これは大信田さんが離婚の最大の理由として暴露したそうですので
山口百恵さんとの浮気はなかったと思われます。
山口百恵さんのとしごろや青い果実に携わっていたので
先生として慕っていたのかもしれません。
まとめ
紅白歌合戦の最期に流れてくる「蛍の光」を聞くと1年が終わるイメージですね。
その締めくくりとしての重大な役割である指揮者を任された都倉氏。
今は紅白歌合戦も視聴率が下がっていると言われていますので
音楽業界もなんとか明るいニュースがほしいものです。
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